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知られざる「穴」。
グループ会社の(株)サザンモール六甲が管理する商業施設「サザンモール セカンドストリート」の一角地下に続く階段があります。このスペース、実は旧小泉製麻工場地下道跡なのです(現在は立ち入り禁止となっています)。
この地下道が、「なだだね Vol.4『あな』」で灘区内にある「知られざる『穴』」として紹介されました。この「なだだね Vol.4『あな』」では灘区内に存在する様々な「穴」が紹介されており、とても興味深い内容の冊子となっています。
1905年(明治38年)、小泉製麻の社員が暮らしていた寄宿舎と工場の間に阪神電鉄が開業したのですが、それ以降、社員の鉄道事故が増えたことなどもあり、社員の安全を守るために国道43号線の真下に長さ50mの地下道が作られました。
1959年(昭和34年。66年前です!)2月発行の小泉製麻株式会社・社内報「いずみ」第11号の「スケッチ板」というコーナーで、地下道について触れられているのを見つけたのですが、そちらには「まづ従業員の往来が一日延八千人、食事六百人分、天井を走る男女寄、炊事、浴場行き水道管の送る水が毎日千二百トン、これに電話線十一回線、動力、電灯線、消火用水管、排水管・・・という利用ぶり」という記述が。地下道が小泉製麻にとって大動脈のような存在だったことがよくわかります。
なおこの地下道は阪神・淡路大震災が発生した際に地下道内部にあった、水を吸い上げるポンプの故障により水没してしまったこともあり、コンクリートで埋められ、現在はフェンスで囲まれてこのように施錠された状態となっています。
当社社員の中には、この地下道が埋められる少し前に地下道を歩いたことがあるという社員がおり、どのような様子だったかを尋ねてみたところ「広さは3人並んで歩いたら窮屈なぐらいだったよ」とのことでした。
現在、小泉製麻の工場は滋賀県東近江市と大阪府岸和田市にありますが、以前は本社周辺に工場があったため、高度成長期と言われた頃、このあたりは特に活気に満ちていたのだと思います。
この「穴」を見ながら、寄宿舎、社宅、工場の間を1日に行き来する延べ8000人の大先輩の皆さんのことを想像しました。